アヒルのイヌかき
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長くなってしまいました 投稿者:里山世代 投稿日:2011/05/04(Wed) 10:05 No.274  
3月11日以来、東日本大震災の被災地の人々への善意の支援が美談として連日報じられている。 誰もが善とする無難な報道を この国の民は好むようだ。
そして、本質的な問題を真剣に考える能力は極めて低い。あるいは、報道のブラックスピン(意図的な報道)があるのかは解らないが。

昨日、「猿が出没しました。餌をやらないようにしてください」と佐久市に広報アナウンスが流れた。 全国どこでも、恐ろしい人間の生活圏に現われざるをえない程の飢餓に襲われている彼等の立場への配慮は微塵もない。 配慮とは、人間が彼等の生存の場をなくし、追い詰めてきた事についての反省だ。

飢えて、恐ろしい人間の生活圏にまで現われなければならない彼等の事情など微塵も考えず、人間の都合だけで、害獣となってしまう。 こんなご都合主義が、原発事故にも繋がっているのだ。

生態系をメチャクチャにして迄も、人間の欲望・利便を好む本能は止まらない。本質的な問題を思慮できない愚かさが誘発した原発事故だ。 地元住民の原発賛成多数で誘致されたのだ。東電や国の根拠なき「安全」を、「アメ」と交換で受け入れた責任はないのか? だまされました?    どんな自治体にも、原発反対派が頑張っていた筈なのに、何故彼らのいう事には耳を傾けなかったのか。
この原発反対派の今の心境を知りたいと思っているのだが 報道されているのを見た事がない。

この地震国に54基もの原子炉がある事が、いかにこの国の民が、人まかせの ものを考えない民であるかを現している。人まかせだから、「こんなはずではなかった」と責任転化出来るのだ。推進してきた国が悪いといっても、代議員を選んでいるのも国民だ。そして、原子力発電所を受け入れてきた住民が多かったから この事故になったのではないか?

私の世代には、日本の各地に里山があった。1960年ごろの家庭では薪や木炭で暖をとっていた。里山は家庭のエネルギー源であり、住宅資材、農業縁肥などにも広く役立てられていた。 人のみならず、植物や動物にとっての住みかであり、えさ場であり、人と生態系の優しい調和が営まれていた。 人々の心も 現代人よりずっと穏やかでゆったりしていた。進歩って何だろうか・・・。

グローバルに膨らんだ経済を漕ぐのに薪や木炭ではどうにもならないけれど、自然エネルギーの実用は何十年も前から可能であったはずだ。では何故、それがこの地震大国で、主たるエネルギー源とならなかったのか?

やはり、既存勢力(原発推進派)が座を譲らず、妨害してきたのだろう。既存勢力には金がある。金と権力に魅せられた者は、モラルを平気で裏切る。これが現代に蔓延している病だ。この病に効く薬は難しい。  しかし、こんな者どもの巻き添えで、真面目に考え生きている人間や、生態系が滅ぼされるなど冗談ではない。

原子力発電は原子爆弾だ。こんな殺戮エネルギーを大地に平気で設ける狂気から目覚め、自然エネルギーへ転換するには もう遅すぎるのかもしれないが・・・。気づく勇気が必要だ。リヤカーまでは戻れなくとも、出来る事は人力で、自然エネルギーと節電工夫を両輪に。 それは少しも不幸な事ではないはずだ。   生態系を切り刻み殺戮してゆく先にまっているのは人類の滅亡だけだ。

里山を復活させたい。



冬至の蓼科山 投稿者:シャクの空から 投稿日:2009/12/27(Sun) 11:28 No.273  


冬至の蓼科山を、佐久市常和(合併後は清川)から撮りました。常和から見ると、冬至の太陽は蓼科山頂を通って沈んでゆきます。画像の太陽の真下が蓼科山の頂きです。穏やかな夕日でした。常和には、山田神社と白山神社があります。
http://www.menokami.jp/menokami.html



寒さの中で 投稿者:たんぽぽ 投稿日:2009/12/16(Wed) 12:15 No.268  
寒さの中で蒲公英が咲いていた
12月のそれは地べたに張り付くようにして咲いている
何年か前の厳寒期の1月のある日蒲公英が咲いているのを見たことがあった
雪もない南向き斜面で風を避けた穴の中のベッドで咲いているようなそんな姿だった
この寒さの中でといたく感動したものだ 
今になって考えてみれば何の事はない 厳しい寒さで蒲公英の周りの土が凍み上がり出来た自然な空間だったようだ
厳しい寒さにもへこたれず環境に順応して生きている 自分もそうありたい
昨日の土手の蒲公英を見て感じたことでした



ご挨拶 投稿者:日本地震予知協会 投稿日:2009/12/12(Sat) 09:05 No.267  
約、10ヶ月ぶりに掲示板を再開します。又、どうぞ宜しくお願い致します。


場違いな画像・文言の添付 投稿者:NPO法人 日本地震予知協会 投稿日:2009/02/05(Thu) 18:14 No.256  
この掲示板は真面目な投稿をして頂く場です。頻繁に卑猥な画像・文言が、削除してもすぐに添付され続けています。何の目的で行われているのでしょうか。  卑猥な画像・文言の添付の即刻中止を求めます。


荒野 投稿者:勤・労人 投稿日:2009/01/29(Thu) 23:33 No.241  


将来は明るいと
もくもくと決めた山道を登る
    
そろそろ頂上だ
と、見上げる
    
明るく見えるが
そこはどうやら荒野のようだ



渡辺善美 投稿者: 投稿日:2009/01/27(Tue) 22:18 No.240  
渡辺善美は民主党への政権交代を阻止するために働いている。
改革どころか従来の利権を必死で守ろうとしている。
騙されてはいけない。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1568.html



英雄 投稿者: 投稿日:2009/01/24(Sat) 10:29 No.238  
1月20日、バラク・オバマは第44代米国大統領に就任した。経済危機、イラク・アフガン・イスラエルの戦争の渦中、世界の期待を背負い、オバマ政権は始動した。 1963年8月28日、リンカーン記念公園で行われた「ワシントン大行進」での、キング牧師の演説 I Have a Dream 『私には夢がある』から、46年。 白人社会からの迫害と差別と戦い続けた公民権運動…どれだけの血が流され、どれだけの嘆きがあっただろう。それは、オバマが最高権力者となっても、すぐには終わるわけではない。しかし、歴史的な輝く希望は放たれた。その喜びは黒人のみならず、多くのあきらめかけている心に放たれた希望の光だ。変わる事は可能である。オバマが大統領に就任した事、そのこと事態がまさに人々の意識に大変革を与えた。政治的な変革の期待と共に、人種差別に答えを出したオバマに、世界中は感動したのではないだろうか。 

日本の変革の星、渡辺善美に期待する。
2月上旬を目途に「国民運動体」の推進母体の設立準備会を開催するらしい。「脱官僚」-「地域主権」-「生活重視」を旗頭に。
一般国民はサポーターとして登録参加できる仕組み。

オバマも選挙戦に、インターネットをうまく駆使し、多くの支持者を得た。ネット登録サポーターは1300万人という。その人達を中心に、これからもオバマ政権をサポートしてゆく。また、意見も反映してゆけるだろう。 渡辺善美も、ネットを駆使し、草の根国民運動を広く展開し、結果を出す事を期待する。  インターネット(弊害も多いが)の威力が良く発揮できるのは、こんな時こそと思う。非力な国民も意識が結集した時、権力に立ち向かえる。現代の武器はインターネットだ。



文明のサタン 投稿者:荷車 投稿日:2009/01/13(Tue) 08:11 No.234  
便利である・・という理由で、楽である・・という理由で、物が開発、製造のレールを走り続けている。この経済線に終点はない。開発し続け、作り続ける。脱線は経済競争の敗北。物を売り続けなければ生きては行けない仕組みになってしまった。 進歩を謳いあげて、商品は売り続けられる。使う主は製品の構造など何も解らない。食品でさえ、化学合成添加物がどんなものか解らない。人は便利に比例して、何も解らないものに囲まれて生きる事になった。最先端の道具を手に入れる事で、自分も進化したような錯覚で、ご満悦。   

ひょっとして、籠の中のハムスターのような事をしているのではないか。道具を手に入れる為に働き続け、生活が向上しているように錯覚し、ぐるぐると疲労しているかなしさ。

籠から抜け出れば、自分の意思で、大地をあるける。人は文明の利器を持つほど、大地から遠ざかってゆく、生命の実感から遊離してゆく。せっかく生まれて、わずかな時間しか、地球に存在しないのに。



雑多時代の貧困 投稿者:傍観 投稿日:2009/01/12(Mon) 09:45 No.233  
あふれるばかりの人がいる。溢れるばかりの物がある。アフレルバカリの情報がある。その中で、人間(進化・進歩)しているはずの人間が生き方さえ解らず、おぼれている。 


年越し派遣村 投稿者:すきま風 投稿日:2009/01/05(Mon) 10:20 No.231  
日比谷公園の年越し派遣村の状況が、暮れから報道されている。これが日本でおきている風景なのだろうかと、少なからぬ衝撃を受ける。真面目に働いてきた人々が、暮れも正月も、食べ物を受けるのに列をなしている。身ひとつで、この寒空に放り出された派遣労働者。
彼等についてメディアでは、グローバル経済構造・経営モラル・労働者のセーフティネット・小泉構造改革などなどが取りざたされている。論評しているのは、年収何千万かの収入がある各界の著名人達だ。極限に貧しい人々の状況を、大変に豊かな人々が語っていることに、いつも違和感をおぼえる。資本家のコマーシャルの合間に論じていても、何も変わってはゆかないと思うが、こうした情報提供が少なからず世論をつくってゆくのも間違いのない事である。私が思うところの、日本の期待の星は渡辺喜美(元行政改革担当相)である。彼の「霞ヶ関から、政治を取り戻す」という改革勇気と実行が、麻生政権で押し戻されている状態になっている今、党と決別しても信念を通すという事は当たり前の道理だが、この当たり前の事をする政治家は少ない。だから、一生懸命が伝わる渡辺善美に期待する。 
個人的には、そろそろ‘豊かさ’の価値認識を新しいパラダイムにシフトすればよいのだと思うのだが。大量消費経済・グローバル経済とは、つまるところ、一握りの企業が世界中の富を集めようという構造なのだから。その一握りの特権階級に振り回され、住むところもなく、瀬戸際にある命が地球上にどのくらいあるのか。物がある事が豊かであるというセオリは、資本主義が生き続ける為に、国民にかけた呪文ではないのか。この経済危機に今一度、人が豊かに生きるとは、どのような事であるかの根本を問い直す機会を与えられている。



肌着 投稿者:S.M.L.LL 投稿日:2008/11/12(Wed) 11:06 No.230  
カサコソと枯れ葉が北風に舞う、寒くなってきた- 家族は肌着! どんなに高いカシミアのセーターを着ても、コートで厚着しても肌着を着ていないと寒い。 家族は肌着とよく似ている。近年、冬が来るたびにそう思う。認知症でも、母は私には暖かい肌着。 友達が何人いても、母の暖かさにはかなわない。


地震の兵器 投稿者:meguri.bannba 投稿日:2008/10/02(Thu) 00:23 No.228  
ji地震を、起こす、兵器は、アメリカ。ソ連でできていて、もう、使われています。台風を、起こす兵器は、40年前にできて、新聞に、載っていたが、何故か、そのご、消されていた、アメリカと、ソ連は、条約を、結び、地震を、起こす兵器を、使わない約束を、しているが、つかわれている。


当たり前のことが至難の訳は? 投稿者:木の葉 投稿日:2008/08/05(Tue) 02:13 No.227  
当たり前の道理がとおらない。道理より、ソロバンの事情・利権の事情が優先する。恐らく個人レベルから国家レベルまでそんな事、枚挙にいとまがない。国あいての問題ほど時間がかかるに於いて日本は特に顕著な国家だろう。 チッソ水俣訴訟は50年の歳月を費やし、しかも結果は被害者の納得のいくような解決では決してなかった。今、マスコミに日々、取り上げられている拉致問題も30年が経過している。なんで、明白な単純な解りきった事にこんなにも時間がかかるのだ。誰の都合でこんなに時を被害者は耐えなければならないのか。子供の世界なら、すぐに解決できそうな事が大人の世界では気が遠くなるくらい、殆ど進展しないのだ。 

地球生態系が存亡の危機にあり、まさに地球タイタニック号という状況下なのに、洞爺湖サミットでも国家間の駆け引きが優先され一向に舵取りが出来ない。沈みかけている船の中で、何が自国の経済だろう。狂気の沙汰としか見えないが、いかにも、まことしやかに賢そうに振舞っている首脳陣達。太宰治の 「この世はきちがいがしくんだ運動会だ」 が真さに現実のようだ。 

クリーンエネルギーがとっくの昔に可能なのに、誰の事情でこんな危険な原発や、CO2排出火力エネルギーが続くのだ。必要でもないものを、売らんが為に作り続け地球を毒とゴミだらけにしてGDPだのGNPの数値に一喜一憂している。政治の目標と国民の希望も馬鹿の一つ覚えのように、‘経済成長率をあげる事’が第一目標だ。  不思議な世の中だ。

アメリカの価値観が世界に広がり、資本主義の価値観でしか人生を認識できない。この世界電車から飛び降り生きるには相当な強さと能力と信念が必要だ。結果、降りる勇気もなく走り行く電車の行き先も見えぬまま、集団安心という幻想にすがるしかない。

地震予知・地震雲のHP,ブログは数百あるようだ。地震と雲の相関を理屈ではなく現象で関係あると認識している人も相当数いると思う。日本に於ける地震雲研究も、椋平幸吉氏という戦前の先達からの歴史がある。しかし、いまだ公からは否定され続けている。

公が認めないという事は公的予算がつかないという事だ。従って1000年、雲の観測をしても、科学の場で認めさせる事は不可能であろう。予算の無い中で、とうてい検証できるものではない。東大地震研はこれまでに数千億という税金を使ってきた。その結果は地震の予知は出来ないという結論だ。

単純に思う。何故、東大地震研に行く予算の10%でも、予知可能としている宏観現象へ、地震予知予算として組めないのだろうか。子供の世界なら 「やってみようよ」 となるだろう。
こんな当たり前の事が大人の世界では絶対おきないのだ。

地震雲関連のHP,掲示板を見て思う。この人たちは(私も含め)、地震雲が出た・イオン濃度が変化した・月が赤い・ラジオノイズがetc、これを100年継続して結果が何だろう。同じ踊り場で堂々巡りが何になるのだろう。
オーケストラに例えれば、曲ではなく雑音でしかない。もったいない事だ。鳴り響いている個々の楽器がまとまって奏でる時、はじめて音楽になる。データも集計され、解析され、はじめて科学となる。
それには人員がいる、ランニングコストがかかる。とても個人レベルで地震予知など出来るものではないだろう。

不思議に思うのは、地震雲に関心を寄せている多くの人が、≪何故、国は、宏観現象予知に予算を付けないのか≫という疑問を持たないのだろうかという事である。 国が認めないなら、世論で変えるしかないと思うのだが、その気運が全然上がってこない。 大方の人が趣味のような視点で観測しているのだろうか。    よくわからない事だらけの毎日が過ぎて行く。



気になる事 投稿者:いっくん 投稿日:2008/04/20(Sun) 23:12 No.226  
(その1)共稼ぎ夫婦で、ほぼ私が食事の支度を(主夫)をしています。ということで、時々スーパーへ買い物に行くのですが、どうも気になることがあります。「さて、この品物買うか買わないか」と、品物の前で考えていると、いつのまにか隣りにおばちゃんが(おばちゃんというと怒られるかな?)いて、同じ品物を見ている。私の横からわざわざその品物に手を伸ばしてくる。思わず後ずさりすると、品物をポンと置いて行ってしまう。こんな事が時々あります。「感じわりい(悪い)な〜」
(その2)スーパーの駐車場では、なるべく他車が無い少し離れた所へ駐車します。隣りに他車があると、乗り降りしにくいし、ドアをぶつけたり、ぶつけたれたりしやすいからです。ところが、用事を済ませて帰ってくると、ポツンと置いた私の車の隣りにわざわざピタリとひっ付けて置く車が時々あります。「考えられね〜」
(その3)最近、年のせいか疲れがなかなか抜けない。ということで、時々日帰り温泉に出かける。ウイークデーは、休憩所は閑散としている。そこで、他の人から離れた場所でのんびりと横になる。ところが、おばさんが近づいて来て、すぐそばに座る。そして、持ち込み禁止の食べ物をスーパーバックからガサゴソ・ガサゴソと取り出す。私の眠気がトロ・トロとくる毎に、ガサゴソ・ガサゴソと。至近距離で・・・・「いいかげんに・せい」
こんなめにあって、腹をたてたあと、「私って、なんて小さな人間だろうかと少し落ち込む」



京山幸枝若 投稿者:蟹の爪 投稿日:2008/04/08(Tue) 22:54 No.209  
今日から桜吹雪が始まった、ものの哀れをさそう。桜と同じ頃に椿も咲き始めるが椿は花全体が落ちる、いわゆる首から落ちるというもの。ひらひら舞い散る桜の下で浪曲を聞く最初はやはり千人坊主がいい、五寸四角の板のなかに左甚五郎が千人坊主の彫刻を彫る話である、ところが甚五郎には最後の一人がどうしても浮かばないーーーここから最後までのクライマックスが何度聞いても飽きることがない。次は河内音頭にのせて六代目横綱をきく、能登の七尾の漁師のせがれ長吉が一日七升の大飯を食うので、相撲部屋を追い出される話である。長吉はいまさら国へも帰れずーーー力なく歩いていたらポトリとかかったひとしずく、雨かとみれば松の露、またもやポトリとひとしずく、露かと思えばわが涙、道は露やら涙やら、心細道とぼとぼと、力なくなく長吉がーーー。軽快な河内音頭にのせて京山節がうなる、桜吹雪もとまらない至福のひとときコーヒーもうまい。


高齢化社会、病気の花ざかり 投稿者:蟹の爪 投稿日:2008/04/06(Sun) 22:32 No.208  
、平日の午後買い物に行ったら喫茶店で一休みする、お客はほとんど中高年以上が多い、話していることは病気のことか嫁の悪口か近所の噂話か。最近は喫茶店を変えて若いお兄ちゃんがやっている店に行く、来ているお客もヤングミセスが多いさすが病気の話はしていない。はんりょうが定年で家にいる日課のように病院通いをしている、あっちの検査こっちの検査とまめに通うご飯どきには検査や病気の話ばっかり、ああうんざり。3月は3日続けて親戚のお年寄りを見舞った、家に帰ってきたら少々気が滅入っている、明日は我が身か。5日近くの川に花見に行った桜の下で気持ちよくお弁当を食べていたら、70代とおもえるおばあちゃんのグループが来た、来年も見れるといいわね、ほんとにねえ、来年まで元気でいましょうね、おばあちゃんたちはそれから又病気の話になった。私は場所を移動した。


気象のように 投稿者:M 投稿日:2008/03/12(Wed) 11:50 No.160  
防災科学技術研究所 Hi-netの震源マップをみると、無感地震を含んだ、M2〜3クラスの地震は毎日、優に40回を越えて発生している。昨年ノートに記した、気象庁地震情報による日本列島の一年間のM4以上の地震もほぼ毎日1回はある。 地震という概念は特別な一回性ではなく、日常的な連続性である事をそこに感じる。 雨が降り、風が吹き、霧が巻き、虹がでる、雲が湧く、という極めて日常的な現象。 地震もそれらの現象となんら特別に変わってはいない。

気象変化は命持つ地球の呼吸であり、そこに命を繋ぐものへのメッセージでもある。

佐々木地震論によると、地震と気象は同根という捉え方だ。気象のリズムを、佐々木地震論で追ってみる。  (太陽からの磁気エネルギーが地球に供給される→マグネティックスポットから雲が生まれる→雨が降る→やがて地殻に磁気エネルギーが満ち→緊張状態になる→晴天→少し大きめの地震の発生→地殻が緩み→再び空には雲が現われる→雨が降る・・・)大枠、こんな循環のリズムで捉えると、気象変化の振りだしは実は地震から始まっているのだろうかと考えるこの頃である。

それらの気象現象が大きなうねりとなり、爆発するエネルギーとなるとき、私達の日常が非日常になるが、それは年に幾度かのものだ。 母なるガイアは時に試練を与える。現代の人間社会のありかたを、考えさせるものだ。

文明が生み出している二次災害なら回避できる。それらは人間がつくりあげたものだから。文明に依存する事ばかりでなく、ガイアの呼吸を理解し、我々の身の回りから危険を消去することがずっと大事なことだ。自然の要塞を利便性重視で破壊し続けてきた結果の二次災害が大きい。 先月24日の富山県入善町の高波(寄りまわり波)被害は波の破壊力を緩和する浜がなくなっている分、被害が大きくなっている。ダム建設で、砂が運ばれてこない結果だ。 地震列島に何故、原子炉をつくるのか。生命を育み、守る生態系を何故、開発・金儲けの‘いけにえ’にするのか。小賢しい人間の智慧など、宇宙の真理のなかでは毒以外のなにものでもない。

自然に抗うのではなく、理解し、認識し、どう在るべきなのか深い智慧が問われている。



つながり 投稿者:木の葉 投稿日:2007/11/03(Sat) 11:06 No.25  
台風シーズンが去り、空気もひんやりしてきた。台風9号の置き土産、各地に流木被害が出た。東京湾にたどり着いたおびただしい杉の流木、江戸川を遡り、利根川を遡ると流木の故郷にたどり着く。群馬県南牧村−かつて杉4〜5本で1ヵ月暮らせた時代、国の補助金で杉を植えた。日本の山に杉の人工林が広がっていった。原生林を伐って植えていったのだ。広葉樹の根は深く張るが杉のような針葉樹は根の張りは浅い。従って台風の威力には抗し難く、無残になぎ倒され濁流とともに、洪水の更なる被害拡大となった。−山はいろんな木があるのが良い−と聞いたことがある。人間の目先のそろばん勘定は将来必ず、リベンジがくる。不自然な人工林は1960年の木材輸入解禁と共に加速度的に荒れ、人の手入れのない中、<緑の砂漠>となっている。こんな現象は山に限らず、日本のあちこちにある。1本の道路が開く、こぞってビルが出来る、商いをする。別のルートに道路が出来る。裏街道となった道路沿いは廃虚コンクリートビルとなり、幾年もガランと放置されている。月見草の美しい群生は再び蘇る事はない。こうして、美しく賢い自然の調和は、目先の欲かき人間獣にメチャクチャに破壊されてゆく。
そのソロバン破壊はいまや、「田んぼ」にまで及ぼうとしている。「田んぼ」は自然ではないが、日本の津々浦々まである次なる自然だ。人が人らしく見える営みの最後の日本の風景であり、砦だ。中山間地の棚田を見ると、なんともなつかしくホッとする。この風景が消え行く時、この国は滅びゆくのだろう。杜甫の−春望−に、 国破れて山河あり・・とあるが、田んぼ消えて国滅ぶ−の日本の状況だ。
政府は800億の用意を考えているようだが(備蓄米として)、先の希望に繋がる政策ではない。・後継者がいない ・下がり続ける米の消費と米価 ・そこまで来ている米の自由化 課題は多く難問である。しかし農業は他の経済活動とは明確に違う。それは緑の貯水池という防災を担い、日本の精神文化を伝承するものであり、なによりグローバル経済の大波小波を泳がなければならない今日、自国の食料自給率39l(先進国最下位)で泳げる訳が無い。車は食べられないのだ。経団連の犠牲にしてはいけないのだ。
一度荒れた田を再び戻す事は至難だ。なんとか「田んぼ」を存亡の危機から守りたい。地域で智慧を出し、真剣に取り組み、頑張り、成果が現われ夢につないでいるところもある。「田んぼ」の存亡を懸けた取り組みは、国より地域のほうが優れている。大切なのは「田んぼ」に対する認識だ。



どうなる 投稿者:お米大好き 投稿日:2007/10/15(Mon) 09:13 No.21  
NHKスペシャル −ライスショック あなたの主食は誰が作る−(二夜連続)
第一回 世界がコシヒカリを作り始めた(昨晩見て心配になりました。)
第二回 危機に立つコメ産地 本日午後10:00〜10:49まで(総合)

いまや先進国最低の食料自給率、日本の農家とおいしいお米はどうなる。
危機的状況です。
稲作文化はまさに日本の文化・風景の根源、とても心配です。




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