佐々木理論…地震のエネルギー(モノポール流量)は、太陽から地球に供給される磁気量である。太陽からの電磁波は地球の両極から取り込まれる。その磁気量が地震のエネルギーとなる。トリガーは機械的なもの(天体の引力・気圧変化)と、量的なもの(太陽から大量に供給されるモノポール流量)である。
信越本線で軽井沢を過ぎて御代田(みよた)付近にさしかかると左側の窓からは佐久平が、佐久平の西側には八ヶ岳連峰が一望できる。このときシャクが八ヶ岳上空に広がっているのを見れば、まさに「シャクの国」というのを実感されるはずだ。
ちなみに、佐久は「柵」からきているという説もあるが、仮にもとからサクであって漢字にあてたのなら、むしろ<朔>の字であったろう。朔の意味は旧暦の一月一日、年の初めの新月のことである。呼応するかのように、佐久の西に隣接する地名に望月がある。望月とは満月を意味する。また、古く中国では天子が諸公を集め暦を配布することを朔という。
そして佐久が<朔>であるためには、この暦をつくるモニュメントがなければならない。はたしてそのようなものはあるのだろうか。冬至の日は、いわば太陽の死ぬ日である。日本は文字どおり太陽信仰の国であり、ほとんどのところで、この日を基準にして再び太陽が生き返る行事を行なっている。太陽がこのまま死んでしまうのではないかと恐れる人々は太陽にみたてた竹の輪をつくり、それをたたいて生き返りを願うという行事もある(神島)。しかし佐久では、冬至の日にカボチャを食べるくらいで、とりたてて取りあげる行事はない。
では何が?蓼科山は何回も登山したものだが、いつも不思議さを感じていた。最初に登った中学一年生の頃、どうしてこんなところに石垣があるのだろうという印象が残った。
頂上には直径100メートルくらい、縁のところで3メートルくらいの石組みがかつてあったように見える。頂上はほぼ平らで穏やかな雰囲気があり、そこで座ったり寝ころんだりすると自分の周りから雲が昇っていくように感じられ、まるで母のふところにいだかれているような安らかさを覚える。
この蓼科山は人工物であろう。おそらくは2万~3万年前につくられたものと想像される。頂上に残された石には古代文字がいくつも刻まれ、近年は古代研究家の注目の的にもなっている。では、いったいどんな理由で、どんな目的でこの蓼科山はつくられたのであろうか。
冬至の日には蓼科山の頂に夕陽が沈む。それを眺める場所は決まっていなければならない。それほどに古代から、蓼科山山頂に冬至の夕陽が沈むのを見る場所は聖地でなければならなかった。それゆえ人々にうやまわれ、大事にされる場所でなければならないのである。
佐久ではそういう場所として「田口」「常和(ときわ)」といわれる場所がある。ここには前者に新海、後者に蛇石(へいびす)山および白山と呼ばれる神社がある。蛇石山は山田神社とも呼ばれている。
白山神社からみる冬至の太陽は、「女の神山(めのかみやま)」と呼ばれる蓼科山山頂に沈む。この事実は、太陽信仰の中心となることである。しかも基準点は女の神山で、これが人工物であるとなれば、蓼科山こそが、太陽信仰のモニュメントということになるのだ。
諏訪神社に伝わる諏訪湖の結氷の歴史を記した古文書が、諏訪神社建立の神タケミナカタ(建御名方-『古事記』の表記による。以下、神名の漢字表記は原則としてこれによる)の子、興波岐命(オキハギノミコト)が建てたという新海神社に残っている。このように諏訪神社と深いつながりがある新海神社からは、旧暦の正月頃に蓼科山頂に日が沈むのが見られる。
蛇石山のある常和は「方八丁」と呼ばれており、蓼科山を中心として陰陽道(天文を主とした古代科学)のメッカだったと思われる。」ここから「女の神山」すなわち陰にあてて、蛇石山ほかを陽にあてたのだろう。このように、暦の起点となるものをもつということは、佐久の地が<朔>といっていい条件があるということである。
昔の人は磁気プラズマの現象を目のあたりにして、恐怖のあまりそれがあたかも龍神のように見えたのに違いない。
諏訪神社の守護神の龍神の正体は、磁気プラズマだったのではないだろうか-。
磁気プラズマは、前に述べたように月齢で出現する。あるいは月齢以外でも、すい星のもたらすエネルギーによって活発になる。
古代人は、この自然の法則を経験的にとらえて天変地異の兆と見ていた。
元冠の九州上陸の時-緋腹をした巨大な龍神(ウロコ雲)が九州の地に走っていたという伝承もその類の一つである。龍神が出現した諏訪湖周辺をマグネティック・スポットといったが、このスポットは国内だけでなく外国にも存在している。
フォッサマグナ上でとりわけ目だつスポットは、1.松本・浅間温泉付近、2.諏訪湖周辺-ここには霧ヶ峰、蓼科山、諏訪湖、茅野市、守屋山が入る。3.飯田市付近、赤石岳付近、4.渥美半島付近などである。
諏訪市や飯田市付近では、磁気の放出のはげしいときで、しかも晴天で湿度がないと、しばしばドライ・フォッグが出現する。これは磁気によるものだと推測される。
中国の気学では、龍穴というものがあって、その龍穴を龍が自由自在に走るという。龍が磁気プラズマだという考え方からすれば、マグネティック・スポットは龍穴といってもいい。
磁気は地殻の底からやってくる。当然、この磁気プラズマ、すなわち龍神は地の底からやって来る。従ってフォッサマグナや中央構造線にその龍穴があってしかるべきなのだ。
そこで、龍の字がつく地名を探してみると-。驚いたことに、龍の地名は、そのフォッサマグナ上と、中央構造線上に並んでしまう。とくに竜王山とか竜神とかの名前が密集しているところは、典型的なマグネティック・スポットとなっているのである。
古来、諏訪神社は、五穀豊饒を祈る神社で、気象庁の役割も兼ねていた。年の始めに長期予報もやり、神人達がその予測を氏子達に伝えていたという。社司達は、この予測の目安を龍神(磁気プラズマ)にたよっていた。これと同様、多くの神社にもこの龍の道が存在するはずである。そこで主な神社をあげてみると-。
九州を横断する断層上には、長崎の諏訪神社がある。龍の祭り、”オクンチ”で有名だ。九州の東側に出ると国東半島には守佐神宮がある。ここもまた龍神が守護神となっている。四国を二つに分ける中央構造線上に石槌山があり、広島の厳島神社は龍の型になって、この山上の雲を眺め伏している。
紀伊半島には、多くの聖地がある。高野山、熊野権現、そして伊勢神宮である。この半島は龍のメッカで、龍神街道や龍神村・龍神国定公園などの地名が多数存在している。中里介山作の『大菩薩峠』の主人公・机龍之介は、この龍神村で、なんと地震雲の話をしているのだ。
その雲の名は姫帯雲という。この雲は不吉の前兆といわれていた。こういう逸話があるくらいだから龍神村は、まさしく磁気プラズマのメッカといえる。
本州では天竜川を逆登ってくるとやがて諏訪神社にぶつかる。すなわち、中央構造線とフォッサマグナの接点にぶつかるのである。また、諏訪のマグネティックスポットから出現する磁気プラズマは、茨城県の鹿島に連なる。このレイ・ラインは関東地方中部の地震予知の要になる現象である。ここにもかの有名な鹿島神宮がある。
関東地方の南西部、神奈川県の丹沢にもしばしば絹雲、磁気プラズマが集中する。ここには、大山権現、すなわち、石尊山の本山がある。石尊山は龍神信仰で有名である。
以上をみてくると、龍の道は、実は、神社の道にもなっているといえるのではないか-。
因みに鹿島神宮には要石という石があって地震をおさえている石として有名である。